bluelines

写真をメインに、いろいろログ。

踊らせて

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すごく、すごく考えている。この不安は何なのか。時間ばかりが過ぎていく。

 

「世界を揺るがせた大事件」というのはこれまでもあった。COVID-19が他と違うのは、これが自分の身の回りから世界中まであまねく溢れてしまっていることだ。自分の生活も、自分が生活する中で関わる人たちの生活も、その人たちが関わる人たちの生活も、何もかもこの感染症に侵食され、制限され、道を塞がれて途方に暮れている。一過性の何かがもたらした破壊や混乱を癒すことだってすごく大変だけど、こんな風に社会のあらゆるレイヤーがじっとりと締め付けられ続けたら、一体どうなってしまうんだ?

 

僕の場合、一度体調不良があったことがきっかけで、頭の中の何かが反応してしまった。それは恐らく原始的な脳の一部で、もう不安と決めたから不安であるらしい。毎日毎日、何の理由もないのに、頭の底で不安を掻き立ててくる。そして僕は、頭の中から無駄に湧いてくる不安に理由を与える情報を探してしまう。ネットで情報を漁って、心の中の荒れ地に不安の館を建てようとする。不安に論理的で象徴的な容貌を与えようとしている。わざわざ時間をかけて。

 

やるべきことはある。嬉しい出来事もある。生活は続いている。でも気が付いたら、TwitterのタイムラインにCOVID関連の恐ろしいニュースばかりを並べている。「正しく怖がる」ってどういうことなんだ?直視してしまったら、一般的な人間のサイキにはあまりに重く恐ろしいけど、じゃあ目を逸らしたらいいのだろうか。政治家や専門家が目を逸らしているのでは?と思わせる言動をするのを見て恐ろしくなるのだが、それは僕が良くないものを見過ぎているということなの?

 

人が輝いているのが見たい。アスリートでもミュージシャンでも料理人でも何でも、人生を通してスキルを磨いてきた人たちがそれを爆発させているところが見たい。人間の知恵が結実して道が開ける瞬間を目撃したい。歓喜の雄叫びを聞きたい。自分でも雄叫びを上げたい。「あれ、すごかったよねえ」って分かち合いたい。安全であることをすこしも疑わず、ほろ酔いで夜の街をふらふら通り抜けて帰宅したい。

 

必要なのは何だろう。「祈り」?「平静」?それとも「怒り」?もしくは「諦め」?わからないまま続いてゆく。今はまだ渦の中。

 

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