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本業は大学教員で言語学の研究者。このブログは最近殆ど写真ばかり。「まっすぐ撮る部」「ズームレンズ使えないマン」「全日本絞らない党」あたりでやっている。

その殺意は誰のもの。The Last of Us Part IIレビュー

さて、何から書こう。以下ネタバレしまくります。

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前作The Last of Usはゾンビパンデミック・ポストアポカリプスの世界で、娘を失った孤独な男性が彷徨う話です。ぶっちゃけこれはアメリカンよくある話と言っていいですが、ただ、表現の強度が凄まじかった。

主人公ジョエルは、ゾンビパンデミックの原因菌に免疫を持つ少女エリーを連れて、荒廃したアメリカを横断します。彼のミッションは世界を救うワクチンを開発できる研究者のところまでエリーを届けることですが、実はジョエルは世界を救うことなんてどうでもいいと思っています。彼はアウトブレイクの夜に娘を失い、その後の20年で社会に深く絶望している。エリーを連れた旅に出たのも、それが相棒のテスの最後の願いだったからに過ぎません。

しかしジョエルは旅の中で少しずつエリーとの絆を深めていく。実娘サラが生きていたらできていたかもしれないことを思い出していく。そして幾多の死線をくぐり、ついに反乱軍ファイアフライの研究者のいる病院に辿り着いた時、彼は告げられます:「ワクチンを作るためには、エリーの脳から組織を取り出さなければいけない、つまりエリーは死ぬことになる」。

ここでジョエルはエリーを救うことを選択します。病院に乗り込み、警護の兵士を皆殺しにし、麻酔下にあるエリーを奪って逃げる途中、ファイアフライのリーダーであるマーリーンも手にかけます。マーリーンは銃を置いてジョエルを説得しようとしますが、ジョエルは彼女を撃つ。「追ってくるだろ?」と。

だからある意味、前作はアメリカンおっさんヒロイズムの世界だったわけですね。心に傷を負った一匹狼の中年男が、彼から全てを奪った世界から、エリーを奪って自分の庇護下に収めることで復讐を果たす、という話。そしてエンディングでは、エリーはそのことに納得していない、ということがほのめかされて終わるのです。

 

そしてPart IIです。物語は4年前のトレイラーで既に始まっています。

 

The Last of Us Part II - PlayStation Experience 2016: Reveal Trailer | PS4

 

エリーが歌っているのはShawn Jamesの"Through the Valley"という曲。歌詞は聖書の詩篇23:4を下敷きにしていて、同じ状況を信仰を失った者の視点で描いています。このトレイラーの時点で、Part IIはエリーの復讐譚になるのだな、ということがわかります。

さあ、そしてPart IIの冒頭。いきなりジョエルが殺されます。手を下したのはアビーという謎の女性。プレイヤーはエリーを操作して、アビーを追う旅に出ることになります。ここまでは特別意外なことはありません。ジョエルがいきなり死ぬのはちょっと驚きますが、その後に続くエリーの復讐の旅は、トレイラーからすれば予想通りの展開です。

エリーはシアトルで三日間かけてアビーを探します。この過程をプレイするのはっきり言って苦痛です。アビーやそれ以外の「敵」の背景は語られず、しかし襲い掛かってくるので排除する。Every last one of themを次々と手にかけて行くのですが、そこに充足感はありません。だって分からないんだもん、アビーと一緒にいたグループが何なのか、どういう考えでワイオミングまでやってきてジョエルを殺したのか。多分ファイアフライ関係なんだろうな、という察しはつくものの、そういう話は解き明かされないままストーリーは進み、エリーはひたすら屍血山河を築いてアビーの手がかりを探し、ようやくアビーが現れたとき、画面は暗転します。

 

このゲーム、ここからが本番。ここまではネタフリ。

 

プレイヤーは今度はアビーを操作します。過去に遡り、アビーがファイアフライの病院の医師の娘だったことが明かされます。おい待て。おれは知ってるぞ、あの医者かよ。

前作ラストでエリーを救出する際に、プレイヤーが操作するジョエルが手術室に踏み込むと、麻酔をされて横たわるエリーの前に医者が立ちふさがるんですね。彼は攻撃はしてきませんが、「彼女(エリー)は我々の希望なんだ」と、何とかジョエルを止めようとする。そしてジョエル=プレイヤーはその医者を撃ちます。

ここで重要なのは、このシーンはプレイヤーがジョエルを操作している状態であるということです。その後のカットシーンでジョエルがマーリーンを撃つとこでは操作不能で、ムービーを見せられるだけなのに。つまりプレイヤーは、自分の意志で丸腰の医者を撃つように誘導される。そしてそれをすごく自然に、言われなければ気付かないくらい自然にやってしまう(後で気が付くとある種愕然とする)。それくらいジョエルに感情移入させられてしまう。

アビーの復讐の理由が、あの医者。前作では名前もついていなかった、でもラストのシークエンスの中で、プレイヤーが自分の意志で撃つことになったあの医者。そのことに気付いた時、このゲームの作り手たちは壮大な罠を仕掛けて、プレイヤーに「殺意の代償」を体験させようとしているのだと理解することになります。

 

そしてその後はもう怒涛。プレイヤーはアビーの視点で、エリーがシアトルに来た一日目からの出来事をもう一度体験します。そしてその過程で、エリー編においてエリー=プレイヤーが殺してきた様々なキャラクターの背景が語られる。もう分かってるんです、このキャラクターは自分が殺したんだ、と。何ならどのタイミングでどの場所でどんな風に殺したかも覚えている。そんな死人たちがどんな人で、どんな考えでどのように行動していたのかを見せつけられるのです。

これを作った奴は特別根性悪いな、と思ったのは「犬」ですね。エリー編での「敵」は犬を使役し、エリー=自分は犬に襲われるため、反撃して殺すことを覚えます。最初はただの犬ですが、後から敵が名前をつけて呼んでいる犬も殺すことになる。そしてアビー編では時間が巻き戻り、その名前がついた、自分が殺した犬たちは自分たちの大切な「仲間」になります。自分たちの命を救ってくれて、ボールやおもちゃを投げてやって遊ぶことすらできる。投げてやったらしっぽ振って拾いに行くわけです。おいふざけんな知ってるんだその犬はもう殺しちゃったんだ止めてくれ、と頭を抱えることになります。

 

映画にはできない、ゲームならではの表現って何か。ありきたりなのは「プレイヤーの選択でストーリーの結末が変わる」ですが、Naughty Dogが目指している方向は違います。プレイヤーに選択肢は与えず、しかしストーリーの力である特定の選択に追い込みます。そして後から(時には7年後に発売される続編で)、「自分の意志でその選択をしたこと」の意味を思い知らせてきます。あの時引き金を引いたのは、ナイフを振り下ろしたのは、ジョエルだったりエリーだったりするけども、しかし同時に自分でもある。その意識は、ゲーム中のキャラクターに対する強い感情移入と、ゲーム中で起きたことに対する強い罪悪感を生み出します。

エリーとアビーの泥沼フェイスオフは、前作のおっさんヒロイズムを完膚なきまでに叩き潰すまで続きます。前作の最後ではプレイヤーは自分に酔っていた。たった一人で世界に復讐する男になりきって、むしろ望んで引き金を引いた。その選択が生んだ憎しみの泥沼の中では、もう気持ちのいい暴力なんてありません。殴らなきゃ、刺さなきゃ、撃たなきゃ、他に選択肢は無くて、そうしないと前に進めないから、辛くて仕方ないけどボタンを押し続ける。それはまさに、最終章でプレイヤーが操作するエリーが追い込まれている状況なんです。

 

エンディングのスタッフロールで、ちょっと唐突なくらいのタイミングで流れるのが、エリーとジョエルが歌う"Wayfaring Stranger"。トレイラーの"Through the Valley"と同じく、彷徨と死がテーマで、宗教的な含みがある曲です。


The Last of Us Part 2 Ending Credits Song Wayfaring Stranger

 

というわけで、凄いゲームです。「ゲームができること」のレベルを大きく一段上げたと思います。お薦めはしません。「何でこんなもん作ったんや」と言いたい気持ちもあります。本気でメンタルに来ます。自己責任でどうぞ。