空白の街
露出を上げたら自分の写真もポジティブになるかな、と思ったけど、まあそういうわけでもなかった
国立でカレー食って、立川まで撮りながら歩いて、イケアで買い物して帰りました
世にいうフォトウオークで街角スナップですが、やってる本人は頭の中がすごいネガティブです
なんかこれまでの人生とかこれからの人生とかについて、「うわあああ」と言いたくなるようなことがひたすら頭の中を渦巻いている
別に意識してやってるわけではないけれど、そのネガティブが自分の中の何かを起こして、それが写真に写っている気がする
多摩地区の街はスキマが多い
庵野秀明がどっかのインタビューで、「人間は空白に耐えられないのだ」みたいなこと言ってた、という記憶がある
家の中でじっとしてれば安全なのに、その生活に生まれる空白に耐えられずに外に出て何かやらかしてしまうのだ、みたいな話だった気が
しかし自分はかといって、隅々までスキマなく意味あるもので構成された世界が快適かというと、それはそうではないのだな
撮ってる間は三分に一回くらい「どうして自分はこんなことをしているのだろう」と考えます
でも家に帰って写真を見てみると、ああこれには何か意味があるな、と感じる
自分の中の何かを供養しようとしているというか、その何かを満足させようとしているというか
それがどこにゆくのか、というとやっぱりわからないのだけど
でも続くからには何かがあるのだ、それは間違いない
他の人はどうなんだろう。写真を撮る理由って何なんでしょうね
自分はこれからも撮り続けたいけど、撮らなくても平気になった自分ってどんなんだろ、と考えるに
それはむしろ一般的には「幸せ」なひとなのではないか、と思う。ほぼ確信がある
なんか苦悩するアーティストみたいな言い草ですけど、単に僕が人生と世界に与える解釈が天気のようにブレる、というだけのことなんです
ブレたその片方に、意味を失って空っぽになった世界を見たがっている何かがいる
たぶんまだ先がある。だって明日は来るからね。