bluelines

写真をメインに、いろいろログ。

空白の街

f:id:gorotaku:20190224145702j:plain

 

 

露出を上げたら自分の写真もポジティブになるかな、と思ったけど、まあそういうわけでもなかった

 

 

f:id:gorotaku:20190224153803j:plain

 

 

国立でカレー食って、立川まで撮りながら歩いて、イケアで買い物して帰りました

 

 

f:id:gorotaku:20190224154928j:plain

 

 

世にいうフォトウオークで街角スナップですが、やってる本人は頭の中がすごいネガティブです

 

 

f:id:gorotaku:20190224145017j:plain

 

 

なんかこれまでの人生とかこれからの人生とかについて、「うわあああ」と言いたくなるようなことがひたすら頭の中を渦巻いている

 

 

f:id:gorotaku:20190224142131j:plain

 

 

別に意識してやってるわけではないけれど、そのネガティブが自分の中の何かを起こして、それが写真に写っている気がする

 

 

f:id:gorotaku:20190224152608j:plain

 

 

多摩地区の街はスキマが多い

 

 

f:id:gorotaku:20190224151816j:plain

 

 

庵野秀明がどっかのインタビューで、「人間は空白に耐えられないのだ」みたいなこと言ってた、という記憶がある

 

 

f:id:gorotaku:20190224152142j:plain

 

 

家の中でじっとしてれば安全なのに、その生活に生まれる空白に耐えられずに外に出て何かやらかしてしまうのだ、みたいな話だった気が

 

 

f:id:gorotaku:20190224142341j:plain

 

 

しかし自分はかといって、隅々までスキマなく意味あるもので構成された世界が快適かというと、それはそうではないのだな

 

 

f:id:gorotaku:20190224144719j:plain

 

 

撮ってる間は三分に一回くらい「どうして自分はこんなことをしているのだろう」と考えます

 

 

f:id:gorotaku:20190224142603j:plain

 

 

でも家に帰って写真を見てみると、ああこれには何か意味があるな、と感じる

 

 

f:id:gorotaku:20190224142831j:plain

 

 

自分の中の何かを供養しようとしているというか、その何かを満足させようとしているというか

 

 

f:id:gorotaku:20190224143700j:plain

 

 

それがどこにゆくのか、というとやっぱりわからないのだけど

 

 

f:id:gorotaku:20190224153121j:plain

 

 

でも続くからには何かがあるのだ、それは間違いない

 

 

f:id:gorotaku:20190224155119j:plain

 

 

他の人はどうなんだろう。写真を撮る理由って何なんでしょうね

 

 

f:id:gorotaku:20190224150455j:plain

 

 

自分はこれからも撮り続けたいけど、撮らなくても平気になった自分ってどんなんだろ、と考えるに

 

 

f:id:gorotaku:20190224143544j:plain

 

 

それはむしろ一般的には「幸せ」なひとなのではないか、と思う。ほぼ確信がある

 

 

f:id:gorotaku:20190224144335j:plain

 

 

なんか苦悩するアーティストみたいな言い草ですけど、単に僕が人生と世界に与える解釈が天気のようにブレる、というだけのことなんです

 

 

f:id:gorotaku:20190224153551j:plain

 

 

ブレたその片方に、意味を失って空っぽになった世界を見たがっている何かがいる

 

 

f:id:gorotaku:20190224153250j:plain

 

 

たぶんまだ先がある。だって明日は来るからね。