bluelines

写真をメインに、いろいろログ。

公募のしくみ

要望があったので、前回エントリに追記します。

今回は、公募における選考基準を、具体的になるべく淡々と書きます。

  • たぶんあんまり面白くありません。
  • 知っている人にとっては当たり前の話です。
  • あくまで一般論ですので、あらゆる公募が全てこの通りだというわけではありません。
  • 僕が知ってる範囲のことですので、欠けてる情報もあるかと思います。

以上disclaimer、ではよろしく。


前回、「あなたは、一件の公募に対して集まる数十〜百以上の応募者の中で、一番にならなければ全く何も得られないのです。」と書きました。今回は、この「一番」を決める基準を説明します。以下項目ごとに分けて。


(1) 専門分野/担当科目適合性
当たり前のことですが、応募者の専門分野が求められているものと合致するかどうかは極めて重要な基準です。極端な例を挙げれば、英語教育の公募にノーベル賞物理学者が応募しても採用されないということです。より微妙な例としては、「現在いる専任教員と専門分野が完全に被る」場合など。これは大学にもよりますが、特に文系では「全く同じ分野の人間を二人雇う必要はない」という考え方が主流だと思います。

公募が立ち上がった時点で「その公募で採用した人に担当させる科目」は大体決まっています。それらの科目を担当できそうにない応募者は落とされます。ここには募集要項に明記されない判断基準がある場合があります。例えば募集要項には「担当科目:英語学研究」と書いてあるだけですが、実はある特定のアプローチ/理論を教える授業ができる人を探している、などということはよくあります。

(2) 研究能力
これは、学位/研究業績から、客観的にはっきりとした優劣がつけられる基準です。業績の質と量、そしてどれぐらいコンスタントに成果を出しているかが審査されます。分野によっては、学位や研究論文に代わるものとして、「実務経験」が重視されることがあります。メディア論系の公募でマスコミで働いていた人が選ばれたり、国際関係論の公募でJAICAでの実務経験が買われたりする、ということです。いずれの場合にしろ、応募書類にある情報から、研究能力の高さ低さはかなり正確に読み取ることができます。

(3) 教育能力
こちらは、応募書類の情報からはなかなかはっきりと分からない能力です。現在一般的に使われる基準は「(大学での)教育歴がある」というものです。「大学で教えていたことがあるんだったら、少なくても最低限はできるだろう」というロジックです。もちろんこれはあまり合理的ではなく、本当に能力がある人を見極められないので、最近は面接の際に模擬授業をやらせる公募も増えています。また、ポストの性質によって、求められている教育能力も変わります。「学部生のTOEICスコアが上がる授業ができる」というのと、「博士の論文指導ができる」というのは当然別ですね。後者の能力が求められている場合、博士論文を書いていることは重要な条件になります。

(4) 雑務能力
専任教員には色々な雑務があります。入試問題の作成や採点、時間割の作成、人事、教育実習先への挨拶回り、点検評価などなど、まあ挙げていったらキリがありません。雑務は教員間で分担されるので、サボる人がいると、その分負担が他の人にかかることになります。ですので「雑務をこなしてくれる人」を選ぶことは重要です。研究をサボっても周りに迷惑はないですが、雑務をサボる人は周りに迷惑をかけるので。とは言え、普通の応募者は「私は雑務なんかやりません!」と宣言したりはしないわけですから、「この人は雑務をこなしてくれるかどうか」を判断するのは簡単ではありません。で、ここでもやはり経験、「雑務歴」が基準となります。前の専任校で教育実習の調整をやってました!とかいうのがあると高く評価されるわけですね。

(5) 付加価値
公募要項の応募条件には載らないけれども、これがあったらプラスになる、という要素はあります。例えば「英語ができる」とか。今現在「英語で教える専門科目」を増やそうとしている大学(たくさんあります)では、どんな専門分野でも、できれば授業が英語でできるぐらいの英語能力がある人が欲しいわけです。あとは、大学外の何らかの「業界」と繋がりがあって、そこから人を呼べたりそこに学生を送り込めたりする人とかですね。

(6) 定着可能性
人事というのは手間のかかる作業ですから、せっかく採用した人がすぐに他の大学に行ってしまったりすることはできれば避けたいものです。場合によっては、転出後のポストを他の分野に取られてしまう、なんてこともあり得ます。だから、「ものすごく優秀だけど、なんだかすぐにもっと良い大学に移ってしまいそうな人」と、「普通だけど、すぐに出ていくことはなさそうな人」だと、後者が選ばれることがあるんです。「エラい先生の推薦があった候補者」は、この定着可能性という基準から評価されることがあります。推薦してくれたエラい先生の顔を潰して他所に移ることはないだろう、と考えるわけです。

(7) 年齢バランス
専任教員があまりに同じ年齢に固まりすぎると、ある年に一気に退職者が出ることになるなど、色々面倒が起こります。ですのでなるべくこれは避けようとします。公募が立ち上がった段階で、「若手が欲しい」「中堅が欲しい」「ベテランが欲しい」というイメージは大体固まっています。期待される年齢層からかけ離れた候補者は、他によっぽど強い要素がないと選ばれにくくなります。

(8) 政治
例えば教授会に東大派閥と京大派閥がある大学で、人事委員長が京大閥で、京大卒の候補者を優先しようとする、みたいなやつですね。公募を出しても結局はその大学の卒業生から選ぶ、みたいなこともあります。その他まあ、ありとあらゆるドロドロした可能性が存在しますが、最近はそういった政治的基準が公募の結果を決めることは少なくなってきていると思います。

(9) 人格
採用する側からすれば、これから先ひょっとしたら十数年間に渡って一緒に仕事をする人を選ぶわけですから、「人格がフィットするかどうか」も基準の一つになります。面接で攻撃的な態度を取ったり、受け答えが噛み合わなかったりする候補者は避けられます。「あなたの研究について教えてください」と問うたら、その分野の別の研究者を延々批判し始めた、とかいうのも危険信号とみなされます。どうせ研究者は変人ばかりですから、「変」なことはあまりマイナスにはなりません。しかし同僚や学生と軋轢を起こしそうな性格はマイナスです。まあ、人事委員会が面接の場でそれを見抜けるかどうかは別問題ですが。


大体こんな感じでしょうか。で、これらの基準それぞれのウェイト、つまりどれがどれだけ重視されるかというのは、ひとつひとつの公募によって大きく変わります。「一番」は、言わばそれぞれの基準の素点にウェイトをかけて合計した点数で決まるわけですね。ですから、殆どの場合、公募の結果は「理不尽」ではありません。ああここの大学は研究能力よりも定着可能性を重視したんだな、みたいに合理的に解釈できるわけです。

僕の分野では、年々研究能力を重視する選考が増えている、と感じています。「へーあの大学あの人採ったんだ」みたいな。そこの大学の卒業生ではなく、他所から出た優秀な人を、すぐに他の大学に移ってしまうリスクを背負って採用している、みたいな公募を目にすることが増えています。

厄介なのは「教育歴」と「雑務歴」です。他の条件が同じであれば、これらの経験がある人が優先されます。つまり、専任の公募というのは、「新卒」が圧倒的に不利なんですね。「大学教員になるためには、大学教員だった経験がなければいけない」みたいな、なんだその無理ゲー、みたいな状況です。だから、「最初の就職が一番キツい、一度専任職を得てしまえば、そこから別の大学に移るのは比較的簡単」とよく言われます。

公募による採用、その中での研究能力重視が一般化していることは、おそらく今後の日本のアカデミアのレベルを上げます。このエントリで指摘されている通り:

日本のアカデミアの将来はきっと明るい - むしブロ+

ただ僕は、競争による選別がどこまで行くかについては、ちょっと不安を感じます。例えば今のアメリカはこの競争が激化し、要求される研究能力その他のレベルが絶賛青天井インフレ中であり、「テニュア取りたきゃリタリン食って寝ずに仕事しろ」みたいな世界の一歩手前(分野によっては踏み込んでる)です。おかげで研究レベルはものすごく高くなってますけど、中にいる人は大変なんてもんじゃないです。向こうで頑張ってる大学院時代の同級生が体壊して、正月から病院に運ばれたって話を聞いたばかりです。きっと、どこかで相対評価絶対評価のバランスを取らなければいけないのだと思います。

そんな感じです。では。