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bluelines

女子大教員。大学教育・言語・ねこ・写真とカメラなどについて。

シャッターチャンスを逃せ


観光客のマナーが悪すぎて京都のお寺が次々と撮影禁止になっている - NAVER まとめ

 

要約:京都のお寺で、下りてはいけない庭に下りたり三脚を立てたり、あまつさえ撮影場所を巡って喧嘩を始める観光客が後を絶たない事で、写真撮影を全面禁止するところが増えている。

 

想像するに、多分こういう感じなんだと思います。

 

素晴らしいカメラと素晴らしいレンズを買った。よし、京都の古刹に紅葉を撮りに行こう。

下調べは完璧だ。紅葉が美しい時期を綿密に調べて日程を決めた。どこの寺のどこから撮ればいいのかも分かっている。そのために必要な機材も抜かり無く選んだ。現地に着いた。調べた通り完璧な光景だ。なのにフレームに入ってくる他の観光客、何だあれは。邪魔をするな、お前らは何も知らずに何となくここに来ているくせに。お、庭に下りれば邪魔な連中は写らなくなるな。何、庭に下りるのは禁止だと?あそこに庭で三脚を立ててる奴がいるじゃないか。あいつがこのシャッターチャンスをモノにしているのに、こんなに準備してきた俺が逃すなんて、そんなの許せない。ちょっとだけでいい。一瞬だけでいいから、写真が撮れる場所に行かなければいけない。行かなければここに来た意味がないんだ...

 

「そこに素晴らしい光景があるのに、自分はシャッターチャンスをモノにできないかもしれない」という状況は、驚くほどの焦燥感をもたらします。僕も経験があります。桜の季節、新宿御苑にカメラを持っていったんですね。で、素晴らしい桜があって、撮ろうとすると、どうしても他の撮影者がフレームに入ってくる。その時、ものすごくイライラしている自分に驚きました。

考えてみると変な話です。その写真を思うとおりに撮れたとして、それが素晴らしい写真になるとは限らないのに。素晴らしい写真を撮ったとして、プロでもなんでもない僕に何かいいことがあるわけでもないのに。桜なんてわりとどこにでもあるのに。『御苑の桜』ってつければいい写真になるわけじゃないのに。

実際その年に撮った桜写真のうち、Flickrで一番ウケたのは、その辺の駐車場にあった桜を、なんの準備もなく偶然撮った一枚だったりします:

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以来僕は、「自分が自分の技術でよい写真を撮るのだ」とは考えないことを心がけています。そういう考えの元では、「よい写真が撮れたら自分の手柄、撮れなかったら自分の失敗」という風に、全てが自らのエゴに乗っかってくるんですね。それはしんどいんです。様々な形で自分の行動を歪めてしまう。

「よい写真」は、世界とカメラが、気が向いたら撮らせてくれるものだと考えるようにしています。たまたま自分が準備ができていた時に、たまたま世界がその気になって、それが一枚の写真になる。自分が撮りたいと思っても、世界が僕に与えてくれないシャッターチャンスに固執してはいけない。それはただただレリゴーしてやればいいわけです。そしたらそのシャッターチャンスは、誰か他のカメラマンのところに行って写真になるのでしょう。それはそれでいいのです。

つまりこういうことです:シャッターチャンスは逃せ。どんどん逃せ。それは結局のところ、カメラを通してこの世界と上手くやっていくために一番いいやり方だと思います。