写真を撮りました。同じような。同じ人間が撮っていることがわかります
同じ人間ですけど、大変だったんですよここ一ヶ月くらい
セロトニンが足りなくなりました。セロトニンが足りないのはヤバい
10時間寝ても、朝にケータイの充電でいったら30%くらいしかいってない感じ
そこからおくすり頼りでどうにか上向きです。今日も動けた
というわけで、街を歩いてきた
普段行かない場所を
そして写真が撮れました。同じような。
まだ自分が同じ人間であることがわかってほっとしています
いい季節、いい天気だった
世界に敵意を向けられている気がしない、というのはいいものだ
「あてもなく歩く」とは言うけれど、そこそこあてはあります
あてが外れることもあるけど
とにかく自分の写真を撮ります
今回ほんとたくさんある。久しぶりだからかな
まだ残っているのだ、ということの確認作業です
無茶をやっている。
不安はあります。ずっとある
「自分」がなんらかの意味がある存在でありたい、という欲望、どこから来るのかね
たぶん、そんなことを気にすべきではないのだけど
いまどきのグルなら「ありのままを受け入れろ」というのだけど
でも世界の断片は時々ひどく美しいし
そのさなかにいる自分の価値は?という問いがよぎるのを止めるのは無理
ねえみなさん、どうしているのですか
僕はこんなかんじです
「大丈夫だよ」と誰かに言ってほしいけど、そんなこと求められないよね
大丈夫
大丈夫。