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bluelines

女子大教員。大学教育・言語・ねこ・写真とカメラなどについて。

日本の大学生が本を読まなすぎて宇宙がヤバい

大学

一年半ほど前に、日経ビジネスオンラインにこんな記事が出ました:

大学4年間で読む本の数、日本は100冊、米国は400冊―「大学生は必死で勉強するもの」を常識に!

3ページ目(会員登録必要)から引用します:

最近ネット上のコラムなどで象徴的な事例をしばしば見かけることがある。「日本の大学生は4年間で100冊しか本を読まないが、アメリカの大学生は400冊読む。ハーバードやエールでは1000冊は読む」


この記事を書いたのは「波頭 亮」氏、マッキンゼー出身の経営コンサルの方みたいです。「ソースはネット」の数字を記事タイトルに持ってくるのはどうなんかな、とも思いますが、本文中では色々と言い訳も述べてますし、まあいいとしましょう。

で。つい最近の東京経済オンラインで、この波頭氏とMITの伊藤穰一氏の対談が掲載されました。その中で波頭氏はこう述べています:

(波頭)最近見た、最もショッキングな数字は、大学卒業までに読むテキストの量の日米比較で、米国の大学生は4年間で400冊読むのに対して、日本の大学生はわずか40冊しか読んでいないということらしいです。本を読んで理解するというのは、スポーツでいえば筋力トレーニング。その基礎的なトレーニングが、日本人は圧倒的に少ない。

おわかりでしょうか。波頭氏のいうところ、日本の大学生が4年で読む本の量が、100冊から40冊に減ってしまっているんですね。日経の記事から東洋経済の記事までわずか2年弱です。この短い期間に、日本の大学生の読書量が半分以下に減ってしまったのであれば、これは由々しき事態です。国家的危機と言ってよい。ただこれは、僕の現場感覚には全く合致しません。僕は大学教員として、ここ数年の間にそのようなドラスティックな変化を感じたことは無いんです。

どういうことでしょうか。論理的可能性を挙げてみますと、

  1. 僕の知らないところで、日本の大学生は読書量を半分以下に抑えるため不断の努力を続けてきた。
  2. 波頭氏が対談中に数字を勘違いした、もしくは対談の書き起こしを行った人が間違えた。
  3. 波頭氏が意図的に「よりインパクトのある数字」を用いた。日本がアメリカの1/10の方がわかりやすいでしょ?日本の大学生のほうが勉強してないのは明らかなんだし、40冊でも100冊でも論旨は同じなんだからいいでしょ?

さあ、どうなんでしょうか。とりあえずはネットでこの「400冊 vs. 100(40)冊」のネタ元を探してみましたが、一次ソースを見つけることは出来ませんでした。検索するとヒットするのはどれも「ネットで見たんだけど…」みたいなのばかりです。こうなってくると、果たして本当にそんな調査が存在しているのかどうかも怪しくなってきます(何か情報知ってる方がいたら教えて下さい)。

とはいえ、仮にそんな調査が確かに実在していたとしても、それは「日本とアメリカの大学生はどれぐらい勉強するのか」という問題を考えるのに役に立つことはない、と思います。そもそも、読書量/勉強量の尺度として冊数を用いるというのがおかしな話です。本には薄いものや厚いもの、スラスラ読めてしまうものやなかなか読み進められないものがあります。全部同じ「一冊」なんでしょうか。レポートのために、その本の一部分だけを流し読みした場合と、ゼミで一年かけてきっちり読み込んだ場合は同じ「一冊」なんでしょうか。専門分野によっては学部生であっても学術論文を読むことが多くなりますが、論文はどうやって数えるんでしょうか。歴史史料は?ポップカルチャー研究を専攻して、マンガを題材に卒論を書いた場合、読んだマンガは冊数に入る?どう考えても、「本の冊数」が大学生の勉強量を測るのに有効な指標とは思えません。

で、僕としては、日本の大学生は100冊でも40冊でも何でもいいです。冊数増やしたけりゃゴルゴ13でも読んでろ、ぐらいです。それよりも、「数値データを利用する時は必ず出典を明記する」「出どころが怪しいデータは使わない」「そのデータが本当に自分の論のサポートになるものかをちゃんと考える」あたりのことは、ちゃんと大学で学んで欲しいと思います。それは本を読んでいるだけでは身につかない態度なんです。