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文系の研究者になりたい人達に知っておいてほしいこと

もしあなたが、大学の授業を通して学んだ学問分野に、ものすごく心を惹かれているとしましょう。あなたはこう考えます「この研究は面白いなあ。もっと勉強してみたいな。大学院に行くのもいいかもしれないな。ひょっとしたら、この研究を仕事にして、それで食べていけるようになるかもしれないし!」

このエントリは、そんな人に向けた、「研究で食べていくことを目指すときに、知っておいて欲しいこと」です。対象は、いわゆる「文系」に絞ります。理系でも当てはまる部分はあると思いますが、あちらにはまた色々と異なる慣習があるので。

まずは、「研究で食べていく」とはどういうことか。文系の学問分野においては、それは殆ど「大学の先生になる」ということと同義です。「大学の先生」には、大きく分けて二通りの形態があります。

  1. 専任
  2. 非常勤

専任は、「その大学でフルタイムで仕事をする人」です。授業を担当し、会議に出席し、大学運営における様々な雑用をします。自分の研究室が与えられ、研究費が配分されます。業務の一貫として研究を行うことになっています。一方非常勤は、「その授業だけを教える人」です。大学運営には参加せず、普通は研究室や研究費も与えられません。専任と非常勤の間には、給与その他の待遇で大きな差があります。非常勤の給料は非常に安く、食べていくためにはかなり多くのコマ数を教えなければいけません。本やPCを買ったり、学会に出張するための研究費もありませんので、自費で賄うことになります。非常勤の契約は大抵一学期単位ですから、いつまでその授業を担当できて、いつまで収入が得られるかは常に不透明です。というわけで、実質的・持続的に「研究で食べていく」ためには、「専任職を得る」ことがほぼ必須であると言っていいでしょう。

では、「研究で食べていく」ためのゴールを、「専任職を得る」と設定しましょう。そのゴールに辿り着くためには何が必要なのでしょうか?

非常勤の職は、殆ど全てコネで決まります。たくさんの大学院・研究室で、代々そこの院生が担当してるポストがあったりします。そういうところでは、まあ普通に院生として精進していれば、先輩から非常勤の職が回ってきたりするわけです。これに対して専任は、大多数が「公募」によって決まります。以下、公募による選考のシステムを簡単に説明しましょう。

  1. ある大学で、専任のポストに空きがでる。理由は定年退職・転出・新設など。
  2. その大学内で、人事委員会が立ち上がる。人事委員会は公募書類を作成し、大学HPやJREC-INなどに掲示する。
  3. 応募者から応募書類が集まる。人事委員会が書類審査を行い、二〜三人に候補を絞る。
  4. 絞った候補者を対象に面接を行い、人事委員会が最終的な候補者を一人選ぶ。
  5. 人事委員会は、教授会に候補者をはかる。教授会が承認して決定。

大学によって色々やり方に違いはありますが、大体はこんな感じです。

というわけで、「専任職を得る」ためには、「公募に応募して選ばれる」ことが必要なわけです。ここでものすごく大事なことは、ここでの選考は本質的に相対評価である、ということです。あなたの大学や大学院での成績は絶対評価で決まります。例えばあなたの修士論文が、一般的な修士論文が満たすべき基準を上回っていれば、それで高く評価されるわけです。ところが公募においては、あなたがどんな優れた実績を持って応募したとしても、それよりも優れた候補者がいたら、そちらが選ばれるのです。あなたは、一件の公募に対して集まる数十〜百以上の応募者の中で、一番にならなければ全く何も得られないのです。

そもそも僕がこのエントリを書こうとしたのは、(文系)大学院生の多くが、「就職の際に評価が絶対評価から相対評価にシフトする」ことをちゃんと認識していないように思えたからです。公募というのは、実はものすごく残酷なシステムです。あなたが本当にその研究が好きで、院生時代心血を注ぎこんで研究して、大きな価値のある結果を得ていたとしても、それ自体はあなたが「研究で食べていける」ことを保証しません。大学院を修了して、就職マーケットに出て、そこで初めてこの残酷なシステムに向き合うと、悲惨なことになりかねない。


ですので、覚悟を決めてください。覚悟を決めるタイミングは、早ければ早いほどいい。「研究者?なれたらなりたいなあ」というスタンスは、実家がマンションいっぱい持ってて働かなくても食べていける人以外は取ってはいけません。周りを見渡してください。自分の所属する研究室・大学院だけでなく、世界中を見渡してください。あなたの年齢に+10歳ぐらいまでの範囲で、「一番良くできる人達」を見つけ、その人達がどれぐらいの研究業績を持っているのか、どれだけ論文を出しているのかを調べてください。あなたは大学院を修了するまでの間に、その人達の業績に匹敵する結果を得ていないといけません。業績そのもので敵わないのであれば、それを補完するような何らかの売りが必要になります。あなたの業績一覧が1ページで終わり、同じポストに応募している人の業績一覧が4ページある時に、何があなたを選ぶ理由になりますか?

大学院にいる間が勝負です。修了後には生活に追われることになります。院にいる間に成果が出なかった人が、院を出てから十分な成果をあげることは限りなく不可能に近い。思い出してください、相対評価です。あなたが院を出てからどんなに頑張ったとしても、あなたの競争相手は「院にいる間からガンガン成果を出していた人」なんです。そういう人達は、大抵院を出た後も成果を上げ続けているんです。

いよいよ切羽詰ったときには、「一度リセットする」方法があります。一つは、海外の大学院に入り直すことです。学費を賄うための奨学金(日本の「奨学金という名のローン」ではなく、本当の奨学金です)を得ることができるならば、これは是非考慮すべき可能性です。分野によっては、一度大学を出て実務をこなすことで、その実務経験を応募書類の売りにすることもできるでしょう。

人との繋がりは、ものすごく大事です。「コネで就職が決まる」とかそういう話ではありません。あなたの研究のデキは、「あなたがどれだけ賢いか」よりも、「あなたがどれだけ助けてもらったか」に依存します。「誰から、どれぐらいアドバイスを得て、それをどれだけ反映させることができたか」が大事だということです。指導教官や先輩、同級生、学会で出会った他大学の先生や院生と常にコミュニケーションをとり、彼らがくれる大切なアドバイスや教訓をスルーしないようにしましょう。新しい人との繋がりを得られる機会があったら、無駄にしてはいけません。あなたが窮地に陥ったとき、思いもよらないところから救いの手が伸びてくることはよくあるんです。

あなたの指導教官は、博士論文も書かずに、エラい先生の推薦状一本で専任が決まってた時代の人かもしれません(昔はそうだったんです)。彼らは往々にして、「ある時気がついたら、『自分とは全然住む世界が違うエリート』だと思ってた人達と競争しなければならなくなってた」という状況の恐ろしさを想像できません。今は地方大学の任期付きのポジションに、海外の大学院でPh.D.を取って山ほどジャーナルペーパーを書いてる人が応募してきます。大学の専任ポストはこれから減るばかりですから、競争はさらに激しくなります。上の世代の人達の、「俺はこれでも就職できた」という体験談で安心してしまわずに、冷静に着実に準備を重ねてください。


書いてみて、何だかえげつない話になってしまったなあ、と思います。学部生が研究室にやってきて、「先生、私研究者を目指したいんです!」と目を輝かせて言ったとする。そんな場面でここで書いたことをそのまま告げる勇気は僕にはありません。やりたい事を見つけた若者に、あまりに酷じゃないですか。だけど一方で、この現実のえげつなさは、研究者を目指す大学院生がどこかの時点で自覚しなければならないことです。これを読んでくれた人達は、全てを真正面から受け止めて愕然としたり、研究者への道を諦めたりする必要はありません。分野によって、人それぞれの運のめぐりによって、様々な可能性があります。頭の片隅に留めておいて、そういう目で世界を見渡すようにしてくれれば十分です。