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女子大教員。大学教育・言語・ねこ・写真とカメラなどについて。

論文指導の意義ってなんだろね、というおはなし

卒業論文の指導を放棄した大学教授
大学における「卒論」と「指導」の在り方

色々モメているが、要するに「卒論指導」には意味があるのか?ってことですな。
「あるに決まってるじゃん」って話をしたいと思います。


僕は学部時代にとある先生に出会ってこの世界に入った。先生からは学問の正にイロハを教わって、学問だけではなく生き方みたいなものまで教わって、もうなんかどれだけ感謝してもし足りない人だ。でもこの先生は、決して論文指導はしない人だった。卒論の時も修論の時も「試験ですから、できたものを持ってきてください」と言う。だから構想段階でのアポみたいなものは一切なし。提出したものに対しても、そんなに詳しいコメントをくれるわけじゃなかった。

まとめ内、渡邊芳之氏のツイート

何度も書いたことだけど,私の指導教官は私の修論についてはでき上がったものを見て「急いで書いたでしょ」と言った以外,なんの指導もしなかった。しかし私は恩師のもとでなければあの修論は書けなかったと思う。大学ではそういう「指導」だってある。

大学できちんと学ばなかった人は「大学できちんと学ぶ」ことがどういうことかわからないし,大学できちんと指導を受けなかった人は「大学できちんと指導を受ける」ことがどういうことかわからない。大学を卒業していてもそういう人はすごく多い。

もし僕があのまま大学院を出て今に至っていたら、きっと渡邊氏のこれらのツイートにうんうんとうなずいていたと思う。



しかし僕は博士課程に進んだ頃、「何か足りない」気がしたのである。うまく言葉にはできないけど、自分には何かが足りない。このまま研究者としてやっていける自信がない。で、色々と紆余曲折があった後、アメリカの大学院に行くことにした。

アメリカの大学院では、アカデミック・ライティングのスキル育成にすごく力を入れる。どんなに素晴らしいデータも理論も、他人を「読んでみよう」という気にさせる論文にしなければ意味がない、という考えがあるから。で、ライティングの指導はそれ専門のクラスがあるわけではなく、普段から書いたものをいちいち指導教官に直される、という形で行われていた。

でね、これがホントに、めちゃくちゃ勉強になるんですよ。イントロでどうやって読者の注意を掴むのか。あるデータをどのように提示するのか。どういう形でargumentを積み上げるのか。「強い主張」と「弱い主張」をどう書き分けて、それを論文中にどう配置するのか。このフィールドの先行研究とどう関連付けるか。今回の研究のloose endsについてどう言い訳するのか。あらゆる点において、自分がこれまでいかにものが見えていなかったかを本当に痛感させられた。人が書いた上手な論文を読んだだけでは身に付かなかったこと、自分でやってみて直されないとわからなかったことを山ほど学び、本当にアメリカに来てよかったと思った。

そういう経験を通して自分の身に付いたのは、結局「総合的なプレゼン力」なんだと思う。自分が持っているひとまとまりのデータからどんなストーリーを立ち上げるのか、そしてそのストーリーをどれだけ効果的に提示できるのか、という力。これがあれば、論文作成だけではなく学会での口頭発表も、そして大学での授業もできるようになる。仮にアカデミックな世界を離れたとしても、間違いなくいろんな場面で活用できるスキルだと思う。

というわけで今僕は、「卒論指導以上に学部生に何かをしっかりと教育できる機会」なんてないと思ってる。書かせてみれば一人一人、学生は全然違う種類の問題を抱えていることが明白になる。とてもよいデータを持っているのに、余計な要素をごてごてと付け加えて論点がボケてしまう子がいる。自分の主張を十分に肉付けすることが出来ず、本来あるべきインパクトを与えられなかったり、独りよがりな印象を与えたりしてしまう子がいる。そういう様々な問題を自覚させ、改善させる指導ができれば、その指導を通して学生は確かに変化する。

でもこういう論文指導ってのは本当に時間がかかる。死ぬほどめんどくさい。で、ちゃんとやらなければ意味がない。アリバイ的に書きあがってきたものにダメ出しするとか、赤ペン的添削するだけなんだったら、むしろやらない方がいい。日本の大学の教員の負担からして、まともな論文指導の時間が取れないって状況はすごくあり得る。

だからね、「自分は卒論指導しない」ってのはいいと思うんだ。いいというか、仕方ない場合が多い。でもそれを色々理屈をつけて正当化しようとするのは違う。まともな論文指導が出来るんだったら絶対にした方がいい。出来ないんだったら本来、自分か環境を変えなければいけない。変えられないんだったら罪を認めて口をつぐんでいればいい。

「学部の卒論と院以上の論文は別だ!」確かに。でも学部の卒論をちゃんと指導しない人が、院生についてはしっかりと論文指導を行っているのは僕見たこと無いんですわ。

アメリカの僕の指導教官は、夜にドラフトを送ると、次の朝には(Wordのコメントと校正で)真っ赤になって返ってきた。自分の研究をガンガンしながら一体どこにそんなことをする余裕があるのかいつも不思議だったが、彼や他のfacultyにいわせれば、「それがProfessionalだ」ということなのだ。まあ、そういうこと。